12月6日から9日までパシフィコ横浜で「Internet Week 2005」が実施された。2日目は「IPv6 DAY」と位置づけられIPv6を中心としたカンファレンス「IPv6 Technical Summit 2005」が開催された。
カンファレンスにおいて、8月にインターネットに貢献した人物に対してあたえられる「ポステルアワード」を受賞した慶應義塾大学の村井純教授による、受賞記念講演が行われた。
冒頭では、ポステルアワードの由来となった、1999年に急逝したジョン・ポステル氏との出会いについて振り返った。日本におけるドメインやIPアドレスの管理を引き受け、それがJPNICやAPNICの設立につながったという。
当時のインターネットは、アメリカ以外で利用することを考えていなかったため、メールも7bitのASCIIしか使えないなどの苦労があった。そこに当時のインターネットのリーダーたちと協力し、国際的な枠組みを持ち込む役割を果たしたという。
講演は「いろいろな年」と題して、過去の講演で使用した資料を参照しながら、これまでの村井教授の歩み、しいては日本のインターネット業界の歩みを振り返り、今後のインターネットが進むべき方向について語った。
最初にスクリーンに映し出されたのは、村井教授の手元に残っていたもっとも古いプレゼンの資料で、99年当時に光ファイバを用いた実験を提案したときのもの。
東京と大阪に実験施設を設けて光ファイバで結び、両者の間を幾度も往復させることで意図的に遅延を発生させ、実際に世界規模で光ファイバが敷設されたときにレイテンシーがアプリケーションにどんな影響を与えるかを調べようという実験。
続いて、2000年に政府のIT戦略の策定に携わった時の資料を紹介した。当時は電話回線の上にインターネットが乗っかっていたのが、やがてIP網が主流となって逆に電話がインターネットに乗っかるようになり、将来は放送もインターネット上を流れるようになるだろうというもの。当時はまったくの夢だったが、現実には5年がたってまさにその方向へと進んでいることに驚かされる。
最後には、未来のインターネットと、それを作り上げていく者の責任について述べた。地球全体を光で結べるようになると、CPUはここに、ハードディスクはあそこと離れた場所にありながら、地球規模でひとつのコンピュータとして動いていくことができる基盤が準備できたことになる。
その新しいコンピュータの概念や環境において、新しいアーキテクチャを作っていく責任が、我々技術者にあるが、それは非常に楽しみなことでもあると締めくくった。

村井教授のパソコンに残されていた最も古いプレゼン資料は、1999年1月22日のもの。写真は当時の村井教授。

2000年当時の業界とインフラの関係図。電話の上にインターネットが乗り、放送とは離れている。

2003年には通信インフラはすべてIPベースに切り替わり、放送業界での利用も始まるとの予測。実際は、予測より遅れているものの、この方向へと進んでいる。



