【集中連載】次世代インターネットを探る 第2回 《山口英氏・前編》

【集中連載】次世代インターネットを探る 第2回 《山口英氏・前編》

山口英 氏(奈良先端科学技術大学院大学 / 内閣官房情報セキュリティー補佐官)<前編>

聞き手:クロサカタツヤ(クロサカタツヤ事務所)

 この連載は「今のインターネットはバランスが崩れてきているのではないか」という疑問を基に、次世代のインターネットを担っていく方々にインタビューを行なっていくものです。第2回では、奈良先端科学技術大学院大学教授で2004年からは内閣官房情報セキュリティ補佐官も務められている山口英氏に、現在のインターネットの現状と課題を直言していただいた。(IPv6Style編集部)

次世代インターネットというビジョンは陳腐化したのか?

── ここ数年のインターネットの拡大は、かえって次世代インターネットというビジョンを陳腐化させていませんか?

山口 5年ほど前にエンジニアを中心に構想された「次世代インターネット」というイメージが、その後どんどん空間に組み込まれ社会実現した結果だと理解しています。もちろん全部が実装されたわけではないし、実現されていないことについては検証や何か新しい方向を考える必要がありますが、コンセプトがリアルになっていくこと自体は喜ぶべきことじゃないでしょうか。むしろ、そのコンセプトにノスタルジーを感じることなく、もっと先のことを見ないといけないと思います。

 インターネットの課題についての議論を見かけるようになりましたが、現状だけで考えればインターネットはそれなりに安定して動いていると思います。ただ、求められる水準は以前に比べより高くなっているし、もっと人間の行動にシステムとして対応することが求められているとも思います。昨年の21世紀COEプログラム成果報告会でSkypeを使ったデモンストレーションを行いましたが、そうしたメッセージを込めたつもりです。

── もっと先を見るために、 着目すべきポイントはどこだとお考えでしょうか?

山口 内閣官房セキュリティ補佐官の仕事が山積しており最近はあまり研究活動に取り組めていないので、正直なところテクノロジーのビジョンはこの3年くらいあまり示していません。研究者といわれるたびに顔をポッと赤らめるくらいです(笑)。

 ただ、逆にその仕事での成果も踏まえて思うのは、健全にネットワークが発展していくために技術以外の要素も含めた検討の必要性です。そしてそのビジョンを受けて、テクノロジーが前に進むべきとも思います。

 改めて考えるのは、情報システムが基盤化を果たしたということの意味を、この1~2年で我々が直接感じ始めているのではないか、ということです。たとえば従来は紙文書と捺印が前提だった商慣行の電子化や、いくつかの暗号技術を用いたネットワーク越しの合意形成など、今や普通のことのように思えますが、ビジネスにおける業務プロセスや習慣は劇的に変化しています。

 ネットワークを含めた情報通信技術全般が、本当に多種多様なフィールドに入り込んでいることも、見過ごしがちですが改めて驚かされます。たとえば先日、オフィスに行く途中で産業廃棄物収集車に出会ったのですが、ゴミ収集の業務管理を何らかの端末で行っていて、よく見てみると、タクシー等でのクレジットカード料金精算端末と同じように、どうやらその端末はネットワーク接続されているものでした。おそらくこうした光景を日々目の当たりにするということこそが、情報システムやネットワークが基盤化したということそのものなのだと思います。

 そうすると、もちろん技術は重要なのですが、そうした情報システムが社会の中で基盤化し、私たちが普通のこととしてそれを当たり前のようにして動かしていくというときに、必要な仕掛けをきちんと整備することが求められます。それは例えば法制度なのかもしれないし、商慣行なのかもしれない。あるいは契約形態を変えないといけない場合もある。ここ数年行政の仕事をやってきて、実は技術よりもそうした面に危機感を感じているというのが正直なところです。

科学技術だけでは問題は解けない

── やはり、まだまだ技術先行で進んでいるのが実情なのでしょうか?

山口 私が個人的に危惧しているのは、科学技術万能主義というパラダイムがある種の強迫観念として作用しているのではないか、ということです。原子力、工業技術、重化学工業、あるいは「列島改造論」もそうかもしれません。戦後日本の高度経済成長は、科学技術による工業化によって支えられてきました。その延長線上に「科学技術があらゆる問題を解決してくれる」という思想が団塊の世代を中心に残っている。その記憶が2000年頃から現在に至るいわゆるITバブルの流れの中で、呼び起こされてしてきているのではないか、と思っています。

 実際は、1970年代にベトナム戦争終結やオイルショックがあり、アメリカを中心に世界は「科学技術だけでは問題は解決できない」という現実を知りました。日本はその裏で1980~90年代初頭にバブル景気を謳歌しましたが、ある意味で問題の先送りをしたに過ぎず、バブル崩壊後に強烈なしっぺ返しを受けました。その後、こうした逆境をバネに、環境問題に真剣に取り組むとか、生産性改善を突き詰めるとか、そうした地道な活動があったはずなのに、ITバブルによってまた「科学技術による問題解決」という科学万能主義が台頭している印象を受けます。それこそ、IPv6が斯界に現れてきた2002~2003年頃の次世代ネットワーク構想は、正直とても科学技術万能主義が下敷きになったビジョンに見えます。これを繰り返す必要はないでしょう。

 確かに科学技術は重要ですが、科学技術だけでは問題は解決できない。今のITブームがそうした認識の上に立脚しているかは、正直疑問です。しかし、今回また失敗したら、バブル崩壊以上の大きな経済的・心理的ダメージを受けるのではないでしょうか。それこそ、科学万能主義の崩壊の裏返しとして、精神世界の方向にすら進みかねないとすら思っています。しかしそれだけのコストを払う余裕が日本にはありません。これもまた現実です。だからこそここで踏みとどまり、「本当に必要なことは何か」を考え抜かなければならないのではないか、と思っています。

 たとえばインターネットをはじめ情報通信技術はすでにインフラ化しています。ならばその維持や強化にどう投資していくのか。あるいはどうセキュアにしていくのか。こうした問題に、行政だけでなく社会全体としてきちんと設計する。もちろんそこでは技術だけでなく法制度や経済制度などの様々な知見が必要です。そうした中で技術が生きる場所はどこか、制度とネットワークが出会う時に何が起きるのか……、こうした技術だけではない数多くの社会構成要素を勘案した議論が始まらなければ、やはり今まで語られてきた技術論が中心のビジョンというのは萎んで当然なのではないでしょうか。こうした姿勢で社会に新たな技術が根付くための総合的なデザインを進めていくことが「次世代ネットワーク」の課題だと思います。

インターネットはもはや「おもちゃ」ではない

── あえて現状を厳しく考えてみると、現状のインターネットや情報通信技術はそこまでインフラ化しているのでしょうか?

山口 総合的に言えば、インフラ化していると私は思います。インターネットも、実際インフラとしての役割を果たしはじめていますし、その潜在能力を持っているのは間違いありません。

 ただ、技術で解決できることとできないこと、あるいは必要なものとそうでないもの、といったバランスがうまく取れていないところがあるかな、とは思います。たとえば先日もNTT東西の「ひかり電話」のトラブルがありました。あのサービスは技術のチャレンジとしては悪くないと思うのですが、従来の「電話」という存在に対する社会の信頼度に対する期待値をまだ満たしているとは言えないと思います。こうしたアンバランスやミスマッチがあちこちで生じているのが現状ではないでしょうか。

 とはいえ、それは技術の責任というだけではありません。やはり、電話という技術が世の中にこれまで与えてきたインフラとしての信頼感に対する代替案を提示する以上、相応の品質が必要なはずです。すなわち、技術そのものでなく、その技術を求められている信頼への期待値以下の状態で採用したという、経営判断も含めた全体設計のミスなのだと思います。

 実は、これと同じことはセキュリティの現場でもしばしば見られます。たとえばあるECのサーバのセキュリティ対策を行う際、そのサーバがどの程度の取引量を裁いているのか、それがどの程度の売上となり、そのサービスを運営する会社にとってどのような位置づけになるのか。こうした視点で評価すれば経営者は理解できるのですが、実際にそうした情報をエンジニアが理解しなかったり、経営者が正しい情報を得ていなかったり、あるいは現場のマネージャがボトルネックになっていたりという状態から、採用すべき技術と実際の採用結果にアンバランスが生じます。

 技術そのものは潜在能力も可能性も秘めています。しかし問題を解決するための“仕掛け”には技術以外にもいろいろあるし、求められる水準によっても技術の評価は変わってきます。最近インターネットがボロく見えるのだとしたら、おそらくそうしたミスマッチが生じているということなのでしょう。だとすると反対に、そうしたミスマッチを(技術だけでなく運用や経営判断を含め)少し修正するだけで、解決できる課題も多いのではないでしょうか。

── インフラとしての目標設定ができていない、ということのようにも思えますね。

山口 目標設定が明確になっていないせいで、状況を評価する尺度が設定できず、状況判断が甘くなっている、とも言えますね。システムを構築するにせよ、ネットワークを更新するにせよ、さまざまな技術、さまざまな方策を知ること、そして目標やポリシーを明確にすることが求められているのだと思います。おそらくインターネットに使われている情報通信技術が、ようやくそれを問われる段階に到達した、ということなのでしょう。

 だからこそ、もはやインターネットはおもちゃじゃないという認識、つまり「インフラとしての自覚」が重要になってくるのだと思います。この5年くらいで、そのことを真剣に考えてきたのはおそらくISPだけだったと思います。正直に言えば、ISP以外は真剣に考えてこなかったふしがある。しかしこれからは、システムベンダもユーザも、あるいはデベロッパもアーキテクトも、全員がそういう自覚を持つ必要があるのではないでしょうか。

 そもそも未だに「ベストエフォート」という言葉がまかり通ること自体が、ちょっと認識が甘いのではと思います。確かに技術的にはベストエフォートと言えるかもしれませんが、それはあくまで技術の話であり、ビジネスの面でベストエフォートが許されることなんてありませんよね。逆に「いついかなる時も100%エラーフリー」という技術もほとんどないわけだから、その意味でもベストエフォートは言い訳にならない。少なくともあらゆるサービスに対してSLAが設定できるくらいにはならなければならないし、契約や約款というのは、そうやって作られていくもののはずです。

── それは、インターネット業界全体の課題なのでしょうか?

山口 すべてがそう、というわけではないですね。たとえばIIJは以前からSLAを明確に定義し、経営的にも成立しています。そもそもベストエフォートというのは単に契約約款を書くときの「免責」事項であって、免責自体は銀行取引にもクレジットカードにも存在します。一方インターネットでベストエフォートを免罪符にしている人たちは、インターネットというシステム全体が免責対象であるかのような言い方をします。しかしそれでは真っ当なサービスではありませんね。

 一方、インターネットがベストエフォートだと定義される際の対立技術である回線交換網(電話網)にしても、実際のところ技術だけを比較すれば、本当に確固たる「保証されたサービス」ではありませんね。電話だって止まる時は止まりますから。それでも電話には「保証されたサービス」というイメージやフレームがあります。その源泉は、技術そのものではなくて、長い歴史の中で社会制度や商慣行にきれいに溶け込むことで培われた「電話という文化」にあるのだと思います。そこには、技術や制度、あるいはユーザの経験など、いろいろな要素が含まれている。

 インターネットにはまだそうした文化がありません。よく「インターネット文化」という言葉が用いられますが、もし文化という言葉が前述の「電話文化」と同じようにいろいろな要素を暗黙知化して対象を成熟させていくという機能を指すのであれば、インターネット文化はおそらくまだ世界中のどこにもない(かまだ脆弱)と思います。かつそれはベストエフォートという言葉で隠れている。もちろんそれには、経営上のスロースタート・スモールスタートが可能だという利便性があったのですが、そろそろその概念から離れてもいい時期を迎えているのではないでしょうか。

── 商用化して12~13年経過してもなお、まだ「おもちゃ」から抜け出せていないんですね。

山口 その意味で、NGNはインターネットに対して刺激を与えると思います。NGNに対して懸念を示す人もいますが、通信キャリアの設備系の方々と話をする限り、NGNとは従来のデジタル回線交換機がこれ以上更新できないことに端を発するPSTNのIP技術への置き換えが第一義だと私は理解しています。だとすると、PSTNをこれまで運用してきたマネジメントの経験が、IPネットワークに持ち込まれることになり、これはインターネットがインフラとしての自覚を備える上で有益だと思います。おそらくこうしたNGNとインターネットの遭遇の中で、インターネットの側で真剣に考えなければならないことが見えてくるのではないでしょうか。

── だからこそ「PSTNなしでインターネットが成り立つのか?」という疑問を持つ人もいますね。

 より踏み込んで言えば、長い歴史を有するPSTNが消滅した時に「PSTNが有していた何をインターネットの基本機能として継承し、背負わなければならないか?」ということです。NGNのアーキテクチャうんぬんではなく、本当はこうした面こそ検討しなければならないと思います。これまでのインターネットがPSTNという存在にある面で甘えていたのだとしたら、それがなくなる今後においてインターネットが単体で成立しうるのか、という検討です。

 「NGN対インターネット」といった構図に持ち込んで、自らを“○○派”とラベリングするのは、ある意味で楽なアプローチです。しかしこの先にあるのは、そうした構図やラベリングで解決できるような水準の問題ではありません。PSTNという文化が終焉する時、それを平和裏に終焉させつつIPネットワークという新たな文化に乗り移れるか。こうした問題に、もっと頭を柔軟にして向かい合わなければならないと思います。

(後編へ続く)

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