第1回「インターネットに“次”はあるのか?」
reported by クロサカタツヤ(クロサカタツヤ事務所)インターネットはインフラか?
インターネットが一般に利用されはじめて、およそ10年が経過した。その間、ちょっとしたおしゃべりからコンテンツの購入・利用、さらには確定申告など、私的なものから公的なものまで様々なサービスがインターネットで利用できるようになった。今や電気・ガス・水道に次ぐ社会インフラとして認識しても何ら違和感はない存在である。ユーザも、通信インフラとしてのインターネットを信頼し、生活や事業の少なくない場面で依存しはじめている。
このように信頼を勝ち得たインターネットだが、一方でその作り手・担い手の側に、インターネットを社会インフラと「公言」する人は、実はそれほど多くない。たとえば行政サイドは「インターネットは民間が作ってきたものである」という立場をとり続け、社会インフラとしてのインターネットの位置づけを明言しない。一方の民間にも、自分自身が社会インフラの構築・運営を生業にしていると真に宣言する事業者は、レイヤの如何を問わずあまり見受けられない。
確かに、ベスト・エフォートのバケツリレーという構造は、特定の誰かが明確に信頼性や品質についての責任を取るという体系になっておらず、裏返せば供給側に「私が社会インフラを支えています」と自覚させにくい(自覚する必要性を感じさせない)のかもしれない。また別の視点として、特にこの数年で進んだレイヤ間分業によりインターネット利用が高度化・複雑化し、もはや特定の誰かによって解決・制御できるほど容易なものではなくなった。
いずれにせよ、この状況をユーザ視点で見てみれば、インターネットに何か障害が起きた時、その原因がどこにあるのかが明確に切り分けられない限り、特定の誰かにその復旧を依頼することは、現時点ではできないことになる。ひとことで「ネットがつながらない」といっても、そのトラブルの内容は多岐にわたり、考え得る原因を数え上げるだけでも一苦労だ。それこそ電気が止まれば電力会社に、あるいはガスに異常があればガス会社に、ユーザが連絡できるのとは、状況が異なる。現実に「ネットに詳しい人」が様々な場面で重宝され、あるいはそれを代替するようなサービスがISPのメニューに含まれているのは、そうした事情によるものだろう。
インターネットの黎明期であれば、ユーザはまず自分で課題を認識し、様々な対処を試みながら、必要に応じて助けを求めた。その行動様式で課題を解決すべきだったし、それがインターネットの普及の土壌となったことは間違いない。しかし現代の日本のインターネットはすでに成長から成熟期に入りつつあり、ユーザも供給側に品質保証や責任を求めるようになった。こうした流れは今後ますます強くなるだろうし、またインターネットが真に成熟を重ねていくためには、このような「ユーザが安心して依存できる環境」の構築が求められている。
インターネットはボロい
では今日のインターネットは、ユーザが安心して依存できる環境なのだろうか。
実際のところ、不安はいくつもある。たとえば下位層では、回線容量の不足による通信品質への懸念は常につきまとうし、IPv4インターネットの経路が爆発・崩壊しつつあることは運用の最前線ではすでに共有された課題である。これに対し上位層では、サービスの利便性や多様性の向上に伴い、情報管理やセキュリティに対する懸念が高まっており、下位層も含めた総合的な対策を必要とする場面も増えつつある。
一方で下位層と上位層、両者の間に生じつつある不調和も顕在化してきた。たとえば動画配信サービスのYouTubeには、かつて「膨大な額の回線使用量を通信キャリアから請求されており、いずれ資金が底をついて事業が停止する」という話がつきまとっていた。結果として2006年秋にGoogleに買収されサービスは継続しているが、これはとりあえず目の前の問題がビジネス的に解決されたというだけであり、YouTubeのようなサービスが抱えうる問題に対してインターネット産業全体として抜本的な対策が講じられたわけではない。
このように現状のインターネットには、利用の成長・高度化による需給ギャップやボトルネックと、それに対しての分業化されたレイヤ間での責任のなすりつけ合いという二つの課題が存在する。現時点ではそのいずれもが、あらゆるレイヤにおける運用現場の努力によって大きな破綻を回避しているものの、それによって課題がユーザの目から隠蔽されることで、さらなるインターネットへの依存と利用拡大を招き、潜在的なリスクは増加しているようにも感じられる。
村井純氏はこうした状況を踏まえ「インターネットはボロである」と指摘する。おそらくその本質は、ユーザの期待に応えきれなくなりつつあるインターネット、という齟齬にあるのではないだろうか。
ただし留意しておきたいのは、こうした指摘や懸念が「インターネットの否定」ではまったくない、という点である。むしろインターネットのアーキテクチャやその思想には、既存の通信インフラに対し「拡張性、柔軟性、創造性」において依然として意義や優位を維持しているし、何より現在もユーザの期待が拡大しているのがその証左だろう。実際これまでも、こうした優位が生み出す再帰性によってインターネットは全世界で「主要な通信サービス」として成長してきた。ユーザが多様な(そして自由な)通信手段を引き続き利用する上で、インターネットの継続的な発展は今後も重要であり、それゆえにボロは繕わなければならない。おそらくそれこそが、次世代インターネットのニーズそのものなのだろう。
インターネットを進める二つの方向性
現在あるインターネットを繕った先に次世代インターネットがあるならば、その姿形は現在のインターネットの上に立脚したものとなるだろう。次世代インターネットはどこかからか湧いて出てくるのではなく、現在すでにインターネットに関わっているプレイヤーによって進められるのだ。
しかし、すでにインターネットには様々なプレイヤーが関与しており、解決への具体的なアプローチはプレイヤーごとに千差万別となる。市場状況、保有資産、技術開発、将来展望等、自らのサービスとプレイヤー自身の立ち位置を決める要因によって、その道筋は大きく変わるからである。
前述の通り、現状はレイヤ間での分業が進んでいる。従って次世代インターネットへのアプローチの違いも、各プレイヤが立脚するレイヤによって大別するのが分かりやすいだろう。たとえば上位層に軸足を置いている事業者であれば、同層での事業展開を中核に据え、上位層(特にアプリケーション層)にとって使い勝手のいい下位層(ネットワーク)であることを求め、それにそったネットワーク構築を求める(図1)。反対に、下位層に軸足を置いている事業者であれば、上位層の動きを下位層の活動に取り込むことが事業リスクを低減することになるため、下位層がみずから想定する事業や技術構造を前提にネットワークを設計し、そこへ上位層(アプリケーション)を取り込むことを目指す(図2)。結局のところ、上位層にしても下位層にしても、現時点での自分に都合の良い技術を中心に考え、お互いに相手がそれにしたがうことを求めることになる。
これまで両者のバランスは、全体としてのインターネット・サービスの普及状況に応じて主従が変化してきた。たとえばブロードバンド黎明期のようにインフラに変化のある時は後者に近い動き(下位層主導の推進)が活発化する。またある程度インフラが普及したらそれをどう使うかが課題となり、前者に近い動き(上位層主導の推進)が中心をなす。もちろん下位層のインフラが全体を支えている構造自体は普遍なので、下位層に次のイノベーションが起きた時には状況が変わるが、現状はまだそれには至っておらず、ゆえに上位層主導の勢いが活発である。またその活発さが下位層のイノベーションに影響を与えているようにも見える。
両者に共通する欠点は、軸足のない部分への取り組みが手薄になることだ。前図でも触れた通り、たとえば下位層主導の推進では、必ずしも下位層の思惑通りに上位層(アプリケーションやサービスのベンダ)が振る舞うとは限らない。反対に上位層主導の推進では、インフラが上位層の動きを支えきれなくなる事態が生じる。事実、前述したYouTubeを買収したGoogleは、ネット中立性という論争で通信キャリアと対立しているが、これはGoogleのような膨大なトラフィックを将来的には技術的・事業的に支えきれないというキャリアからのメッセージとも受け取れる。
ちなみに、こうした問題に対し、そもそもアーキテクチャレベルからインターネットとは異なるアプローチを提示しようとしているのがNGNであろう(図3)。その意味でNGNはインターネットに対する最も挑戦的な代替案だとも言えるが、NGNのアイデンティティが「インターネットではないアーキテクチャ」にある以上、インターネットとの水平的な相互運用は困難であろう(ただしインターネットover NGNというオーバレイでの相互利用はありうる)。またそれゆえ、NGNそのものが支えようとしているネットワーク全体としての経済構造もインターネットとは異なるものとなるはずだ。従って、NGNを次世代インターネットの直接的な解として認識することには、違和感がある。
インターネットが欠く長期的ビジョン
ボロいインターネットを繕うためには、両者いずれのアプローチにせよ、ネットワークを構成するレイヤである以上は他レイヤとの協調が不可欠だ。しかし現実はレイヤ間で不調和が生じつつある。前述でも触れたようなネット中立性に関する議論だけでなく、セキュリティに関するコントロール・ポイント(どちらのレイヤが面倒を見るか)、アプリケーションとトラフィックの関係(特定アプリがトラフィックの大半を消費してしまう状況をどう制御するか)等、いくつかはすでに課題として具現化してきている。
あえて挑戦的に問題提起すると、おそらく現在のインターネットの各プレイヤは、自身のことを「インターネットを支えるステイクホルダの一員」であるとは認識していないのではないだろうか。それゆえ、自分の担当するサービスを中心とした部分最適の思考に陥り、全体のバランスが崩れてきているように感じられる。
そしてインターネットがインフラであることを求められるならば、インターネットの各プレイヤーには「インフラ事業者としての責任」が求められることになる。ここに至っては、ベスト・エフォートの名の下に許されてきた甘えは許されないことになる。それこそ、これまでの電話網や放送網を支えてきた技術者が持っていた「1秒たりとも止めない」という、徹底的にユーザーへの甘えを廃した矜持は見習うべきではないだろうか。
もしこの問題提起に妥当性があるならば、これは技術的解決の前段階での課題であり、いわばビジョンに関する整理が必要だ。すなわち、各レイヤが調和を取り、インターネット全体としてアップグレードしていくための方策として、レイヤの如何を問わずインターネットに関わるプレイヤ全体が共有できるビジョンのようなものである。
幸いなことに、こうしたビジョンやそれを反映した要素技術のいくつかは、すでに多くの先人が開拓してくれている。実際に具体的な課題が生じ始めており、課題解決までにあまり時間がなくなってきている現在、フルスクラッチでビジョンを作り上げる労苦を考えれば大変有難い。それにこうした歴史や資産を継承していくことが、インターネットの奥行をさらに増すことにつながるのは間違いない。
その上で、それらはまだ断片的なものであり、ゆえに次世代インターネットに使えるもの、使いたいものを整理し、また足りないものは改めて描かなければならない。この連載では、こうした「次世代インターネット」のミッシングピースを、様々なレイヤでインターネットに関わっている方へのインタビューを通じ、明らかにしたいと思う。





